日々是好日
1月7日(木) 柄にもなく万葉集  早いもので今日は七草粥の七日正月だ。
今年の正月は寒いながらもすっきりと晴れ渡った気持ちよい日々だった。 毎年の正月、娘一家は旦那の古里へ帰省するが、今年は下の子が新型インフルエンザの疑いがあるとかで我が家にやって来た。 いくら先が短い小生達であっても新型インフルエンザの怖さは同じ。 「何を考えてるのやら!」とのぼやきも孫達の笑顔を見ると破顔一笑。 そんな台風も5日に通過。 のんびりとした七日正月に浸っている。
そういえば今日は七草粥の日。 我が家は作るのだろーか!!

 リタイア後は早寝早起きを心掛けている。 最近は毎朝5時から始まるNHKの「日めくり万葉集」を寝床の中から見ている。 以前は、この時間帯は「漢詩紀行」という番組をやっていたが、昨年からは万葉集になった。
「漢詩紀行」は江守徹の朗々とした読み上げが気に入ってDVDに録画したりしてシリーズが終わるまで楽しんだ。 勿論解説を聞かないと理解できない詩が多かったが唐時代を中心にした多くの詩人に出会えた。 番組の第2音声では中国語の朗読も聴くことができ、これも大変勉強になった。

 「日めくり万葉集」になっても、相変らず古文が解釈できず苦労しているが、解説を聞くとそれなりに理解できるから面白い。 先日ふと立ち寄った本屋でこの番組のテキストをめくった。 そこには放送で見た短歌の背景や時代の解説やらが詳しく載っていた。 番組は既に12月号のテキスト分まで進んでおり、当月号と数号のテキストが売れ残っていた。 これをを購入して家でじっくり読んでみるとなかなか面白い。 
なかでも、各号に連載している檀ふみの万葉エッセイが軽快な文章でつづられており感心して読みふけってしまった。 
 かくなるうえは1号から12号まで取り揃えようと、近くの本屋数軒を回ったが、最初の頃のものが手に入らない。 そこで昨日TSUTAYAで不足分を予約してきた。

 古文を読んでいるときの脳は、外国語を勉強しているときのそれと同じところが活性しているとか。
今年は柄にもなくこの本を時々めくり、ボケ防止に努めることとしよう!!
 

春の七草はと五七五七七で覚えると覚えやすいとのことです。

せりなずな ごぎょうはこべら ほとけのざ すずなすずしろ これぞ七草
 


ちなみに秋の七草も五七五七七で並べると以下のとおり

はぎききょう くずおみなえし ふじばかま
おばななでしこ これぞ七草

1月23日(土) 今年は鯉をゲット  
例年この時期になると栃木県に雑魚を取りに行く。 寒風吹きずさむ川の中は身を切られるような冷たさだが、寒さも何のそのと痩せ我慢をしつつ魚採りに夢中になる。
 いい歳をしたオヤジトリオが向かった先は栃木県芳賀地区を流れる野川。 現地集合は8時。 昇りきらないお日様の日差しはさすがに弱い。 それでも胴長を履いて、仲間のT氏が仕掛けておいたウケ(雑魚を取る仕掛け)を次々と上げていくうちに身体も暖まってくる。
 約10数個の仕掛けには、オイカワ、川ムツ、ドジョウ、フナなどの雑魚がイッパイ。 瞬く間にバケツ一杯が採れた。
 
 続いて野川の本流に場所を変え今度は鯉つかみ。 鯉つかみと言っても、実際は鯉を網で捕まえる。 この時期の鯉は、水温の低下に伴い動きがなくなり、川岸のボザ下などに隠れている。 そこに網を仕掛け、足で追い込むと、逃げ場を失った鯉が網に飛び込んでくる寸法。 
 目ぼしいポイントを次々に攻めて行くが一向に鯉の姿が見えない。 5ヶ所目のポイントに近づいた時、ボサの中から2、3匹の大型鯉が逃げ出した。 急いで網を当てるが全部すり抜けていく。 5、60cmはあろうかと思われる野鯉だった。

 それでも、このポイントにまだ隠れている可能性に期待して網を仕掛け追い込む。 すると友人N氏の網に鯉が飛び込んだ!! 45cm程の綺麗な野鯉だ。 真っ黒い鱗が金色がかって光っている。
 その後下流のポイントでN氏が一匹ゲット。 今度は更に大きい50cmオーバー。 これも綺麗に輝いている。 小生は残念ながら採れなかったが45cmを貰い、N氏は50cmを持ち帰った。
 いい歳をしたオヤジが餓鬼に戻り、寒さにめげず楽しんだ一時だった。

 鯉は旨煮に、雑魚は甘露煮にして晩酌の友にしている。 ごつあんです!!・・・・・・・

1月25日(月) 今年は雪が多い  
 先日、福島県郡山へ行ってきた。 家内の母親が92歳でリハビリ入院中なので、ほぼ毎月様子を見に行っている。 昨年5月に脳梗塞で倒れ、一時は危なかったが持ち直してきた。 脳は年齢に関係なく鍛えることが出来るというが、少しづつではあるがリハビリ成果が出てきて、行く度に反応が良くなっている。
人間の生命力には本当に驚かされる。
 小生の母親も93歳で都内で健在だ。 ここへもほぼ毎月様子を見にいっている。 生きてるうちは顔を見せるのも親孝行かなと思い、愚直に続けている。 それにしても二人とも長生きだなー!

 そんな訳で、郡山へ行ったわけだが、途中高速道路から見えた男体山や日光連山は真っ白く輝いていた。 やがて車が黒磯に近づくと、真正面に那須連邦の雪の壁が迫り、噴煙とともに雄大な景色を見せていた。 
 郡山に到着する頃には、北の空遠くに安達太良山脈がくっきりと浮かんでおり、先月来たときよりも格段に雪が多くなっているのがわかった。 

 例年ならば安達太良山頂付近だけが真っ白く、周りの山々は薄っすらと雪を被っている程度だが、今年は山頂から麓にかけてまで真っ白い。 しかも周辺の山々も真っ白く雪を被っており、今年の積雪の多さがわかる。

 小生が毎年渓流釣りで入る高森川は、安達太良山脈が源流なので、今年の岩魚、ヤマメは期待できそうだ。 暮れから正月にかけ日本海側を中心にドカ雪が降ったが、東北地方の中央部にも相当降ったようだ。
 平地に雪が少なく、山には雪が多いのが理想だが、どうやら今年は絶好のコンディションになりそうだ。
 テレビばかり見てないで、そろそろ渓流釣りの仕掛けつくりに入るとしよう!!・・・・・
  
2月17日(水) 幾つになっても向学心
 元の職場の後輩が上海に語学留学に行くという。 ヨワイ56歳にしてこの向学心!! 感心するやら、あきれるやら?!・・・・・・
 この1月末に早期退職し、かねてからの夢であった中国語研修を実現したいと今年の年賀状にあった。
 もともと中国大好き人間で、コトバも日常会話のほか読み書きもそこそこ堪能で、上海では小生と一緒に仕事をしたこともある。 上海以前には北京で一年ほど別のプロジェクトに参加して銀行システムなどを手がけた経験もある。

 2月中旬出発ということなので、先日上海プロジェクトに係わったメンバーで壮行会を開き、上海時代の思い出話と彼のマジメな留学生活エンジョイを願い、大いに盛り上がった。
「今更そんなに勉強してどうするの??」というメンバーの疑問には、「とにかく、もう少し中国語に磨きをかけたい。 取り敢えず一年間の語学留学をしながら先のことを考えたい・・・」という。 ”そんないいかげんな・・・・!!” と一瞬思ったが、”よくよく考えたらうらやましい!”・・・・・  そして、”もう10歳若かったら”という言い訳・・・  

 それにしても、「子育てもほぼ終わり、仕事も十分やってきたし、少しでも若いうちにかねてから夢見ていた!」ことを実行する行動力に感心する。
「日の出の勢いで突き進んでいる上海で、仕事ではなく、気楽に学生生活をする時、きっといろいろなことが見えてくるのではないか・・・・」 そんな言葉をかけながら、幾つになっても向学心を忘れないこの友人を誇らしく思った。

 今年は上海万博がある。 我々が手掛けた上海プロジェクトも竣工10周年記念をむかえる。 今年は上海で、当時の現地関係者を集めて思い出パーティなどをしよう! かな?
 
 

上海万博日本パピリオン


上海万博マスコット
7月24日(土) 老朋友達との再会
 7月10日(土)〜14日(水)にかけて上海万博に行ってきました。 現役時代に上海で行った仕事が10周年を迎えることもあり、万博見物を兼ねて当時のプロジェクト関係者4人で訪中することにしました。 
 初日の午後と翌日の午前中に万博会場に入ったが、中国館や日本館は予想通りの大勢の人波と行列で入館を諦めました。 それならばと欧米館方面の様子をみると、中国館、日本館ほどでもないにしろ、これまた2、3重の行列。 欧米館も入館も諦め、結局入館したのは北朝鮮やモンゴルなどマイナーな国。 北朝鮮はどんな展示をしているかと非常に興味を持ったが、中型スクリーンの観光映像などとみやげ物販売などを行っていただけで、期待した朝鮮TVのあの民族服のオバチャンキャスターの映像も見られなかった。(当然か!) それでも金日成、金正日親子の写真と書籍はシッカリと販売していた。

 二日目の夜は、当時のお客様側の代表であるS様のお宅に招かれており、市内の一等地にあるマンションを訪れた。 日本流にいうと4LDKの広さだが、ひと部屋の大きさが日本のそれとは違っており、広いリビングや寝室に圧倒されました。 廊下を隔てて、日本への留学経験もある息子さん夫婦のお住まいも見学させてもらったが、同じような間取りであり、上海のハイソサエティの暮らしぶりを垣間見た思いでした。
 その後、マンション近くのレストランでお客様ご一家の歓待を受け、老朋友との懇親と乾杯、そして、本場上海の味を楽しみました。

 三日目、四日目は、寧波、紹興への江南地方の旅を楽しみました。 今春、上海の大学に留学した元の職場の同僚をガイドに頼み、見違える(聞き違える?)ほど流暢になった中国語に驚きながらの列車の旅でした。
 寧波は小生にとっては、初めての地でしたが、日本にも馴染みのある古いお寺を2箇所ほど見て地元料理を楽しんだ。 紹興は10年前に訪れて、郊外も含めて観光したが、ここも10年前とは比べ物にならないように観光地化が進み多くの人であふれていた。 紹興では、今回の旅行の目的の一つでもある、魯迅にゆかりのある居酒屋で、格別に旨い生の紹興酒を飲むことが出来て大満足だった。 
 寧波や紹興の地方都市が、10年前の上海のように喧騒と活気に満ちており、且つ交通マナーの悪さを引きついているのをみて何故かホッとしたのは小生だけだったのか??

 四日目の夜は、当時のプロジェクトスタッフ達との夕食会を楽しんだ。 当時20歳台の若者達も今や立派になり、日系企業や政府関連会社に就職しており、自家用車や賃貸マンションを持ったりしていて余裕のある生活ぶりが垣間見えた。 我々と厳しい交渉を繰り広げたオーナー側の人も出席しており、おみやげに持ち帰った生の紹興酒と50数度の白酒で乾杯しながら昔話に花が咲いた。 
 懐かしい老朋友達との楽しい数時間も瞬く間に過ぎ、会計の段になると宴会費用は老朋友達がみるという。彼らにはこれまで支払わせたことは無かったが、出世した面々の顔を見ると嬉しくなり、お言葉に甘えゴチになることにした。

 最終日は、S様の案内で我々が手掛けたシステムの現状を見せていただいた。 当時のシステムに更に手を加え、最新の設備になっているところを見せていただいたが、完成時にシステム監視室に掲げさせていただいた会社名とロゴマークの入りのプレートが今も大切に残されているのを見て、我々一同大感激すると共に中国側の配慮に感謝した次第である。

 今回の旅行は、万博見物というより、お世話になった当時の方々との懇親が第一の目的だったが、システム創りに厳しい交渉を重ね、やがてお互いに信頼を深め、ついに老朋友になったことを確認する旅でもあった。 浦東空港に向かうリニアモーターカーで時速450kmのスピードを体験したり、寧波・紹興への旅で山形新幹線型の特急列車の乗り心地を楽しんだりして益々発展する上海を再確認した楽しいひと時でありました。
 

オーナー代表一家との懇親


プロジェクトスタッフ達との懇親


監視室内での記念撮影

10月2日(土) 蔵の街栃木市
 栃木市で兼業ながら米作りに精を出してる友人から、新米が出来たと連絡があった。 毎年、美味しい米を分けてもらっており、今年も4表ほど予約していた。 春先には竹の子を掘らせてもらったりお世話になっている友人です。
取りあえず30kg袋5個(2.5表)を車に積み、残りは来年の竹の子の季節まで保管してもらうことにしました。

 栃木市といえば、”栃木の小京都”、”蔵の街”などと最近観光に力を入れている。 何時もは竹の子堀りなどで行ってもそのまま自宅に直行したりして、気にはなっていても殆んど素通りだった。
 今年は9月になっても残暑が厳しく、やっと涼しくなったと思ったらシトシトと秋の長雨。 今日は久しぶりの青空。 秋晴れの気持ちよさについつい惹かれ、蔵の街散策と決め込んだ。 

 写真で見た巴波川(うずまがわ)沿いに蔵が並ぶ風景を目指して車を走らせていたら某大型スーパーが目に入った。 蔵はすぐそこらしい。 買い物は帰りにすることにしてチャッカリ駐車場を拝借。 妻と二人で巴波川沿いを散策。 すると昔の回漕問屋の倉庫群が川沿いに建っている。 黒塀に囲まれた白壁の建物が川岸のヤナギ並木にマッチして素晴らしい。 栃木市を代表する景色である。

 栃木市の秋祭りを以前TVで放映していたのを思い出した。 そこでとちぎ山車会館に入った。 『とちぎ秋まつり』をデジタル技術を駆使した演出と実物の山車3台で再現しており、まつりの迫力と素晴らしさを満喫できた。
 帰りがけに郷土が生んだ大文学者”山本有三記念館”に入り、若い頃に読んだ”路傍の石”や”真実一路”の世界に浸ってきました。

 昼食を挟んで2時間ほどの散策だったが、古い木造家屋や大正ロマン溢れる洋館などが点在する街は、忘れてかけていた小生の原風景を十分に思い出させるものだった。


巴波川と蔵


巴波川の舟下り
10月6日(水) あんこう鍋
 妻の実家で義弟と呑んでいたら、あんこう鍋の話になり急に食べたくなった。
ネットで調べると北茨城があんこう料理で有名らしい。 郡山からの帰宅ルートを海岸沿いに変えれば実現可能だ。 酔った勢いもあり早速宿を予約。 

 翌日は義母の見舞を早々に済ませ、義弟とともに2台の車で北茨城の平潟港に向けてスタート。 国道49号線を一路東へ・・・・ 約1.5時間ほどで目的地平潟へ到着。 時間はまだ陽が高い15時過ぎ。 宿に入るにはまだ早い。 

 そこで、観光パンフレットに載っていた「五浦 六角堂」を見学。 五浦の岸壁に張り出した岩盤の上に、赤い六角形の堂が建っている。 明治の美術家 岡倉天心が自ら設計し、「観瀾亭」と名付けられたこの建物は、杜甫草堂を頭に浮かべて造ったとか・・・・  そういえば、西安の杜甫草堂にも似ている。
 パンフレットによれば、「岡倉天心が太平洋を眺め、波の音を聞きながら、思索にふけったところ」 「時にはここから真下の荒磯に釣り糸を垂らした」とか・・・・ 羨ましい限りの生活だ!! 

 小一時間ほど平潟港や釣り師の様子などを見て回り、宿に入ったのは16時過ぎ。 宿は前日ネットで予約した「民宿 相模屋」。 温泉とあんこう鍋が売りものとか。 早速ひとっ風呂浴びて18時半から待望のあんこう鍋を囲む。 
 コラーゲンたっぷりのあんこうの皮や身、肝が入った味噌仕立ての鍋は絶品だ。 鍋のほかに、あん肝、あんこう共酢、あんこうカラ揚げなどのあんこうづくし料理や地魚の刺身盛りなどで酒もおおいに進み、楽しいひと時となった。

 翌日は早朝散歩で岸壁の釣り師の様子を見て回ったが、小鯵狙いの人が数匹の獲物を持っていたのみで、ひらめ狙いやチヌ狙いの人はゼロだった。
 朝食を済ませ、平潟名物の干物とさつま揚げを宿の対面の店で調達して、義弟は昨日来た道を、我々は東京方面へと右と左にわかれそれぞれ帰路へ。 
 途中、雨引観音に立ち寄って”延命水”(地酒つくりにも使うという天然水)を汲んできました。
 

あんこう鍋と刺身など一式
(相模屋さんのHP写真と全く同じだった)




六角堂
11月3日(水) 日光の紅葉
 10月下旬、日光の紅葉を見に行ってきました。 この時期になるとTVなどで各地の紅葉便りを盛んに流している。 関東周辺の紅葉では中禅寺湖の紅葉が一番美しいと信じている小生は、毎年日光に行きたいと思っている。 しかし、最近では数年前に行ったきりご無沙汰している。 理由は簡単。 そのうち、そのうちと思っているうちについ時期を失してしまい行けないでいた。

 今回は是非とも中禅寺湖の色とりどりの美しい紅葉をなんとしても見たくて妻と一緒に出かけた。 今夏は異常といえる猛暑だったので美しい紅葉を期待した次第だ。
 日光の紅葉といえば、いろは坂の大渋滞を覚悟しなければならない。 そこで平日に出かけることにし、当日26日は早朝6時に家を出た。 栃木県の上三川までは一般道で行き、上三川から北関東道、東北道、日光道でいろは坂に入る計画だ。

 例年大渋滞する清滝には遅くても8時には到着できるよう出発した。 途中、通勤渋滞などがあったが、清滝には8時チョット前に到着した。 心配した渋滞は無く、難なくいろは坂を通過し中禅寺湖へ・・・・
 清滝あたりから紅葉が始まり、いろは坂も十分見ごろ、明智平で一休み。 まわりの山々はすっかり色づいている。

 中禅寺湖畔から見える紅葉は、黄色、ダイダイ色、赤、その中に松の緑など華やかなそして見事な景色だった。 取りあえず、そのまま上を目指し、竜頭の滝を散策。 ここも絶景だった。 さらに上を目指す。 戦場ヶ原に到着した。 ここは湿地帯に生える潅木とカラマツの一面の黄色が素晴らしい。 その黄色の中にそびえる男体山も今が盛りとばかり美しいスソ模様をひけらかしている。

 湯の湖まで行って中禅寺湖に引き返した。 ここでは目的の遊覧船に乗った。 小一時間ほどで湖岸を半周するコースだった。 湖岸が良く見える左舷側に陣取りイザ出発。 平日にもかかわらず船内は中高年を中心とした観光客で一杯だった。 湖を左回りでゆっくりと進む船から見る木々はすっかり色づいてその影を水面にも揺らしている。 やっぱりここの紅葉は素晴らしい。 特に八町出島の色はなんとも例えられない美しさだった。 

 下船すると丁度お昼時間。 湖畔の手打ち蕎麦屋で新そばを食べる。 香り豊な新そばに大満足。 
 午後の散策は蕎麦屋の目の前の中禅寺から・・・・・  堂内の"立ち木観音"をお参りさせてもらい境内も散策。 中禅寺は一般の観光コースから外れているせいか、小生もお参りするのは初めてだった。

 次に向かったのは田母沢記念公園。 大正天皇のご静養所として建てられ、昭和天皇も戦時中に疎開した御用邸を記念公園として一般公開している。 以前も入館しようとしたが生憎休館しており一度は訪ねてみたいと思っていた所だ。
 広々とした敷地に建つ御用邸はさすがに庶民がすむ住まいと違い、天井も高く、廊下も広い。 そして何よりゆったりとしている。 長押も一本の長さが6軒以上ある。 貧乏人はこんなところにも感心してしまう!
 天皇の御座所や謁見所、御玉突き所など絶対に見られないようなところを見学させてもらい満足しました。


中禅寺湖のもみじ


湖の紅葉


竜頭の滝



戦場ヶ原