日々是好日
3月2日(水) 春の息吹  長い冬眠から目覚めた。 2月下旬に春一番が吹き、段々暖かくなってきた。 久しぶりに畑の様子を見に行ったら、畑の隅にフキのトウの群生を発見! 前の耕作者が栽培していたのか、はたまた自然に生えてきたのか定かではないが、、取りあえず食べ頃のヤツを収穫した。 スーパーのビニール袋一杯の春の香りをゲットして思わずニッコリ。 早速、フキ味噌とおひたしにして味わった。 残った半分は前耕作者におすそ分け・・・・・
近所の緋寒桜もチラホラ咲き出した。 モースグハールデスネエl〜♪♪♪

 「そろそろ畑の準備をしなければ・・・・」っと思い立ち、種ジャガイモを8kgほど買ってきた。 このまま部屋の中に置いておき、発芽させると良いのだそうだ。 

 畑の準備第2段・・・・。 冬を越したハクサイを本日廃棄処分とした。 時期が悪かったのか、土壌のせいなのか小さな虫が付いていて収穫しないまま放置していた。凡そ2〜30株ほどを取り除き、ジャガイモエリアにすることとした。 其処に先日買ってきた牛糞を蒔き準備完了。 3月中旬に植付けすることにしよう・・・・

7月27日(水) 空海と
密教美術展

 国立博物館で開催中の「空海と密教美術展」に行ってきました。 空海が密教を修行しそして伝授された西安の青龍寺に行った時から空海が気になっていた。その後、司馬遼太郎の「空海の風景」を読み、ますます空海という生臭い(人間くさい)偉人がすきになりました。 

 そんな訳で、早速行ってきた次第ですが、もともと書の素養はおろか訳がわからないような毛筆を見ただけで頭が痛くなってしまう小生です。 案の定、会場に入ったとたんに古文書の陳列だった。 しかし、空海が20歳前後で書いたといわれる戯曲の「三教指帰」(さんごうしいき)<聾瞽指帰(ろうこしいき)とも言う> の原本を目の当たりにしたときには感激しました。 

 この戯曲は、道教、儒教、仏教の優位性をそれぞれの仮託者に語らせる日本最古の戯曲といわれている。 うろ覚えの仮託者の名前や解からないながらもそれらしき単語を見つけて急に空海を身近に感じました。

 曼荼羅の世界も、解説を読んでも良く解からない世界たが、東寺の仏像群による「立体曼荼羅」は迫力十分であり、曼荼羅の世界より仏教美術の素晴らしさを堪能させてもらいました。
 
 それから、空海が持ち帰った唐時代の三鈷杵(さんこしょ)や錫杖(しゃくじょう)などの密教法具なども展示されており、一時、奈良・平安時代にタイムスリップしてきました。



8月10日(水) 那須の体験教室
 今年の夏も孫達が我が家に滞在しています。 昨年はいわき市のリゾートハワイアンズやアクワマリンなどに行きましたが、今年は那須りんどう牧場とお菓子の城などへ行ってきました。 

 那須りんどう牧場で牛の乳搾りやヤギ・子牛へのエサやり体験。 小学校3年と幼稚園年長組みの孫達は、意外に動物達に身近に接してもビビらず笑顔で楽しんでいました。 
 そして、アクセサリーなどの工作体験では、作品作りに夢中になるも手元がおぼつかない。 思わず「ジーイ、ジーイ手伝って!」と声を張り上げる! 待ってましたと”器用自慢”のジージーが破顔一笑で手を貸す。
 
 二人が作っているのは、デコレーションアイスクリームのデコバージュ。 カラー粘土を使ってアイスクリームを作り、それに同じく粘土で作ったイチゴやバラの花などで飾り付ける工作だが、なかなか見本のように綺麗に作れず手こずっている。 ジージーが手を貸すとあっという間にバラなど部品が出来上がり二人は大満足!

 翌日は、お菓子の城で、やはり工作体験教室や川遊びなどを楽しんだ。 お菓子の城は、2、30年前に、お土産を買うために2、3度立ち寄った記憶があるが、当時はお土産用菓子の販売のみだったような気がする。 今では、お土産売り場の他にお菓子作りや各種体験教室が売り物のようだ。

 ここでも、キャンドル作りなどの体験教室や川遊びなどジージーの出番だらけ! ブルーベリーの摘み取り体験では、食べ放題のブルーベリーに思わず手が出っぱなし!! たらふく食べて大満足したときにフト頭によぎった疑問 ”放射能は大丈夫かなー??” でも、時すでに遅し・・・・ 
 幸い孫達は殆んど食べなかったようなので一安心。 なんとも安心できない世の中になったものだ・・・

 








10月8日(土) 鹿沼の秋祭り
 毎年、この時期になると栃木の友人が作る新米を分けてもらっています。 今年も素晴らしい秋晴れのもと一路栃木市へ・・・・・
 今年は福島第一原発の事故で栃木産の米を心配をしていましたが、放射能検査で”検出せず”のお墨付きをもらったとの連絡があり、例年通り購入させてもらいました。

 友人宅でのお茶飲み話で、この3連休中に鹿沼の秋祭りが開催され、絢爛豪華な山車行列が見られるとのこと。 以前から一度は有名な山車を見てみたいと思っていたので、渡りに舟とばかりに約20km先の鹿沼へ足を延ばしました。
 30kgの米を6つ積み、助手席には妻が乗った少々重たい車だったが昼前に鹿沼市に到着しました。

 市内のメイン道路には既に数台の山車が曳かれていました。 山車の正面に掲げられている提灯は”仲町”とある。 会場入口で貰ったパンフレットで確認すると、天保7年制作の白木造りの山車とある。 およそ180年前の物か? 近寄って彫刻をじっくり観察させてもらうと、龍や鯱や牡丹などの華麗な彫刻が山車の前後左右にビッシリ。

 彫刻の良し悪しを見極める審美眼などさらさら持ち合わせていないが、躍動感溢れる精巧な彫り物を間近に見ると、昔の職人技の素晴らしさがひしひしと伝わってきました。

 パンフレットの解説によると、日光東照宮造営に関わった大工や彫刻師達が、ここ鹿沼の地に住み着いたり、地元の民に頼まれたりして、これらの山車を造ったとか・・・・・
 続々と山車行列が続いたが、どの山車もそれそれに美しい。 中には彫刻に黒と青で彩色した華麗な山車もある。

 こうした山車は27台あるそうで、初日には市内各所の彫刻屋台が今宮神社の境内を目指し、勢ぞろいする「繰り込み」が行われます。夕刻になるとそれらの屋台に一斉に灯りが点され、お囃子とともに各町内を練り歩く「繰り出し」が行われるそうです。2日目には、屋台が一斉に市内を練り歩き、交差点で2台以上の彫刻屋台が向かい合ってお囃子の競演をする「ぶっつけ」が行われるそうです

 我々は、初日の「繰り込み」のさわり部分のみを見物して、併せて開催されていた”蕎麦祭り”会場で蕎麦を食し、満足して帰路についた次第。
 秋晴れの気持ちの良い一日でした。








11月4日(金) ひょんなこと
から台湾

 ひょんなことから台湾に行って来ました。
9月に兄弟妹が集まり、長兄の古希の祝いを中華料理店で行いました。 
席上、本場の中華料理の話になり、みんなで本場物を食べに行きたいと意見が一致。 行き先は、妹の長男が経産省の日台関連部門に在籍していることもあり、台湾に決定。 3夫婦6人全員がB型とO型のせいか、すこぶる早く行き先と時期が決定!

 長兄がネットで探してきた3泊4日の台湾一周ツアーに出かけることになりましたが、思えば一族郎党での旅行など子供時代以来・・・ 
全員リタイヤ組みなので、日程調整もスムーズに済み、10月31日に羽田から出発。 甥っ子は、仕事の関係で台湾には付き合えないとのことで6人組の珍道中が始まりました。

 先ずは台中の松山空港に到着。 そのまま現地ガイドに連れられ、バスで台中へ移動しその日は台中泊。 夕食は客家料理。 客家(華僑)の家庭料理らしいが旨くはなかった。 ”要するにまずかった”

 翌日は、台湾観光の目玉の一つである風光明媚な日月潭(日本の箱根風)や宝覚寺、文武廟などを見て高雄へ・・・ 高雄では龍虎塔のある蓮池譚や寿山公園などを散策してその日は高雄泊。 料理は、昼/夜とも地元の郷土料理らしかったがすこぶる旨く満足した。 

 夜はオプショナルツアーを断り、我々だけでタクシーでオプショナルツアーと同じルートで高雄夜景と六合夜市を散策。 (この辺はすこぶるセコイ6人組)
 幸い、大陸の普通語が通じるので、此処はあやしい中国語をあやつる小生の出番だった・・・・

 3日目は、高雄から台南観光をして昼の新幹線で台北へ移動。 午後からは、例の強制ショッピングに付き合わされた後、本旅行の目玉である「故宮博物院」見学へ。
 今回の旅行先を台湾に選んだ理由の一つは、この故宮博物院の見学にあった。 見たかったのは、ヒスイを加工した白菜や豚の角煮のごときの自然石、それから象牙の珠を幾重にも掘り出した象牙細工などで、いわゆる日本人好みの工芸品。

 夜はオプショナルツアーに参加して、世界2番目の高さを誇る「台北101タワー」からの夜景と本格的な台湾料理を楽しむ予定だった。 しかし、生憎の空模様で小雨が降ったり止んだりの天気。
 最上階の展望台から外を見るも、ガスが掛かってまるで雲の中状態。 それでも時々雲が切れたときに台中の夜景が見られ、あちこちから感嘆の声があがる。

 夕食は期待した台湾料理ではなく、小籠包などの一般的な点心料理。
特に感動もなく最後の晩餐が終わってしまいました。

 今回の旅行では、昼夜の食事ごとに台湾ビールで乾杯をしたが、大陸の青島ビールなみに美味しかったのが印象に残りました。 しかし、紹興酒はさすがに大陸ほどではなく、暖めてやっと旨くなる程度だった。

 最終日は、オプショナルツアーに参加して、台北郊外にある九分観光に出かけました。
 九分は、アニメの「千と千尋の神隠し」のモデルになったところだそうで、日本の温泉地のような急な坂道が複雑に入り組んだ街だった。
 
 今回の旅行では台湾をほぼ一周したが、マナーも治安も大陸より良く、ゆったりと落ち着いた国との印象だった。
 また、旅の目的だった”美味しい本場の中華料理”についても、ほぼ満足できました。 

 ひょんなことから実現した楽しい兄弟妹夫婦旅行だったが、次はどこに行こうかなー・・・・とみんな思っています。

 

九分の街



台中の大布袋さま



高雄の龍虎塔



高雄の寿山公園

11月9日(水) 法然・親鸞そして
増上寺
 
 国立博物館で開催中の「法然と親鸞展」に行って来ました。 ついでに、公開中の増上寺山門に登ってきました。
 
 いつもなら、9時開館に合わせ早めに家を出るのだが、今回は急に思い立ち出かけたので国立博物館に到着したのは10時半過ぎ。 前売り入場券は確保しておいたのでスンナリ入場できたが、会場入口から長蛇の列が続き、ゆっくりと見ることはできなかった。

 保元・平治の乱などの戦乱と地震などの天変地異が続き、政治・社会が混乱した平安末期、念仏を唱えればどんな人でも極楽浄土へ導かれるとの教えを広めた法然上人には以前から興味を持っていました。
 法然以前は、仏像を作ったり、多額のお金を寄進したものだけが救われるとの仏教を庶民に開放したのは法然であり、やがてそれが親鸞上人に受け継がれ、後に門徒宗につながり、政治・経済に大きな影響を与えたことを考えると、法然の業績はすごいものがあると思っていました。

 今回の催しにも、例のごとく年金受給者と思しき年配者たちが大勢押しかけ、会場内は人いきれムンムン。 そういう小生たちも同類項だ。 
 開催内容の性格上、仏像・仏具などの造形物は少なく、文書や絵巻などを主体とした展示物が多かった。 そのため、じっくりと眺める人が多く、人の流れが滞り、人の頭越しにガラスケースの中を覗くパターンが多く疲れました。

 法然・親鸞の肉筆書など国宝級のものが多く展示されていたが、見ても読めないし、ましてや内容も理解するには知識が少なすぎた。 それでもしっかり見なくては・・・というけちな性分の小生は、絵巻ものなら理解できそうなので列に並ぶ。 しかし、なにせ多くの人が留まって前に進まない。

 やっと見えた絵巻は、鎌倉時代に描かれたものとは思えないほど鮮やかな色彩が残っており、生き生きとしたタッチで当時の日常がよく描かれていた。 これはじっくりと見たかったが、人波に押され次のブースへ・・・・・

 今回の催しは、法然上人八百年御忌と親鸞聖人七百五十年御忌を記念したものだそうですが、想像していたとおり人が多く、内容が深かった。 
 

 午後からは、先日テレビで増上寺の山門公開を放送していたのを思い出し芝増上寺へ・・・
 地下鉄大門駅から表へ出ると、目の前に増上寺と東京タワー、そしてその先に六本木ヒルズが迫っている。 江戸と昭和と平成の東京が混在するオモシロイ景色が見られた。

 正式には三解脱門という山門の梯子みたいに急な階段をよじ登り、ニ階楼上へ・・・ 
すると、薄暗い中に数々の仏像群が浮かび上がってきた。 大きな釈迦三尊像の左右に十六羅漢像その前面には歴代上人像が並んでおりました。
 山門の上から海側を眺めると大門が見え、その先に有楽町駅。 江戸の昔は、大門の向こうには浜離宮、その先には品川の海が広がっていたのだろうなー

 山門を降り、境内を進むと徳川家墓所の公開を案内している。 めったに入れない場所なのでここでも入場料を払いお参りした。 二代将軍秀忠公やその妻のお江の方、そして、歴代将軍5名と正妻、側室などのお墓が並んでいました。
 入場時に貰ったパンフレットによると、増上寺は、戦災で消失する前は広大な敷地であり、西は飯倉、六本木、南は金杉橋あたり、北は日比谷にいたるまでの広さだったとか。 今に残っていれば上野に次ぐ広大な公園だったかな? そうすると勿論東京タワーもなく、プリンスホテルも存在しなかった??・・・






増上寺山門


増上寺でも法然800年御忌


江戸と昭和


秀忠公、お江のお墓