11月20日(木) | 古希におもう | 今年9月に「・・・・・・・・古来稀なり」の古希を迎えた。 還暦の時には、”人生50年の時代はいざ知らず、現代の60歳はマダマダ年寄扱いには早ツい” と強がりを言っていたが、さすがに70歳の節目には 『けっこう頑張ってきたなぁ・・・・・』と感慨ひとしおである。 昨年兄を亡くした。 享年72歳だったことから、 "取り敢えず70歳を超えたのだから良しとしよう! 兄貴もそう思って旅立ったのではないかな!”っと思い、納得させてきたが、小生もついにその歳になってしまった。 少年時代・青年時代を大井町で過ごし、会社勤めを61歳までやり、その間結婚し、マイホームを建て、二人の子供に恵まれたごく平凡な人生だが、人さまと同様にそれなりに苦しいこと楽しいことがあった。 しかし、今ではみんな良き思い出ばかり・・・・ 仕事のほうでは、70年代から最先端の情報処理系に携わり、90年代には中国上海で約3年間に亘りビルのOAシステム関連の仕事をしたことが思い出深い。 家族のことでは、定年退職した時に、息子が古くなったパソコンを見かねて、ノートパソコンをプレゼントしてくれたことが嬉しかった。 娘の結婚式も孫の誕生ももちろん嬉しい一コマである。 今年古希を迎え、娘から3泊4日の沖縄旅行をプレゼントされたのも大感激である。 長年家を守り、家を空けることを嫌がる家内も今回のプレゼントには大喜び。 長年苦労を掛けた家内と一緒に旅ができたことも良かった。 出がけに息子から小遣いを貰ったことも嬉しかった。 昨年5月に家内の母親を亡くし、今年3月には小生の母親を亡くした。 共に96歳だった。 共に寿命を全うしたけれど、母親との別れは辛いものだった。 そして、今年9月には全身麻酔を始めて経験した。 以前から様子を見ていた ”胸腺腫の疑い” が、2年間で2mmほど大きくなっていると言われ、 ”脇腹から腹腔鏡を入れ、患部を掻き出す手術で簡単だ!” ”体力があるうちに取り除いたら・・・” との医師の勧めに応じて手術を受けた。 約2時間程の手術で終わり、入院も6日間で済んだ。 最近、群馬の某病院で腹腔鏡手術失敗で数人が無くなっていたとの新聞記事を目にしてビックリしている。 小生の担当医師はベテランだったが肝を冷やしたニュースだった。 これも古希の年の思い出の一つになった? 退職後にのめり込んでいる渓流釣りとアユ釣りは、一向に腕はあがらないけど体力が続く限り続けていきたい。 足腰が丈夫じゃないとできない渓流とアユは、正直70歳位が限度かなと思ったけれど、この分では来年も楽しめそうである。 ”日々是好日” これからも毎日毎日粗末にすることなく大切に過ごして活きたいナー! |
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11月22日(土) | 沖縄の旅 | 11月4日から7日にかけて沖縄をめぐってきた。 娘からのプレゼントに重い腰を上げた家内だったが、美しい海と美味しい沖縄料理に満足していた。 ★初日は、ANAで那覇空港に14時に着き、そのままレンタカーで万座毛海岸を回り、夕方名護市のオキナワマリオネットリゾートホテルに到着。 大きなリゾートホテルで部屋も綺麗だった。 夕食は予約していた寿司屋へ。 地の物の寿司ネタと刺身を肴に泡盛を堪能。 海ぶどうやモズクなども美味しかったが魚は北の海ほど豊富ではなく期待外れだった。 ★2日目は、美ら海水族館に直行。 大きな水槽に、大きなジンベイザメと大きなマンタが悠々と泳いる。 修学旅行の高校生もスマホ片手に写真を撮り合ってはしゃいでいる。 そんな沖縄を代表する観光スポットを2時間ほどかけてゆっくり回った。 次は今帰仁城跡へ移動し13世紀に造られたという城壁などを見て回った。 古い石段を登っていくとカーン・カンカンとしきりに音がする。 城壁の大木に近づくとその音は一層大きくなる。 何の音かとわからないまま下に降りてきて切符売り場のおばちゃんに聞くと、なんと蝉の声とのこと。 11月に蝉の声とは夢にも思わなかった。 さすが沖縄だ! 午後は海中大橋が有名という古宇利島に渡って見物したあと、この旅行の目的の一つである嘉手納基地を見渡せる道の駅へ到着。 道の駅屋上の展望台からは、道路を挟んで基地滑走路が目の前に見える。 数人のおじさんがカメラを構え、しきりに飛来する戦闘機を撮っている。 基地反対グループが証拠写真を撮っているものと思って見ていたら、どうやら戦闘機気違いのおじさん達のようだった。 本島のど真ん中に大きな基地を取られている現状を見て戦後は続いていると実感した。 この日は夕日が有名という残波岬を経由して、この近くのホテル日航アリビラに到着。 夕食は予約していた沖縄料理店で沖縄を堪能した。 テーブル5、6席のこじんまりしたレストランだったが、豚肉角煮のラフテーやゴーヤチャンプルなど本場の味は素晴らしかった。 ★3日目はサンゴ礁の、鮮やかなブルーの海の上を通る海中道路を走った。 深い鮮やかなブルーと薄いブルー。 サンゴ礁独特の海の色は眺めていても飽きない。 磯には11月なのに半ズボン姿の人たちが海藻?を採っていた。 午後からは首里城公園に回り、復元された首里城と琉球王朝の歴史などを見てまわった。 沖縄では日本からの独立運動もあるという。 歴史的にはもともと琉球王朝として独立していて、その後日本に編入され、戦争でさんざん痛めつけられて、今なお日本の基地の70%以上を引き受けている沖縄の現状を見た時、沖縄の独立運動はおおいに理解できる。(チョットまだまだ他人事かな?) その後、那覇市にある ”旧海軍司令部濠” の見学をした。 戦争末期に掘られた濠で全長450mあったという。 濠の中には作戦室や最後に自決した手榴弾の傷跡も生々しい幕僚室など戦慄する所を見てきた。 夕方、ロアジールスパ那覇ホテルに到着し、その夜はホテル内の中華レストランで沖縄料理と中華料理と泡盛を堪能した。 ★4日目はひめゆりの塔と平和記念公園に行った。 ひめゆりの塔は出発か早かったせいか、数人のおばさんグループがいただけで静まり返っていた。 入口の花売り場で花束を購入し、献花してお参りをした。 帰りに平和公園の平和記念資料館に入り、沖縄戦の写真資料などを見て回った。 戦争当時子供だった人達の体験手記コーナーには、高校生の修学旅行グループがいて、熱心に手記を読んでいるのを見てなぜかホッとした。 憲法解釈で集団的自衛権を行使しそうな危なっかしい政府だが、若い人は戦争の悲惨さと無意味さをもっともっと勉強して欲しいと思っている。 沖縄旅行もこの日で終わり。 午後のANA便で無事帰宅。 ”やっぱり自宅が一番” と声を揃えて玄関のカギを開けた。 ★泡盛調達 琉球泡盛も日本酒同様に各メーカが沢山の銘柄を出している。 旅行前の新聞記事で、 「比嘉酒造が製造方法を研究・改良して美味しい焼酎を作り大いに売れた。 利益も大きく出たので、社長と役員給与を億単位に定めた。 それを知った税務署が脱税容疑で摘発したところ、社長側は努力の結果を反映した給与だ!と言って現在裁判中・・・・」とあった。 社長の言うことも一理あると思い、この商品をおみやげに買うことを決めた。 2日目に宿泊するホテルのすぐそばにその工場があることを調べ、”社長の言い分は正しいと思うよ!”と店員の御嬢さんに言うと、御嬢さんはニコッと笑いワンカップ式の泡盛2個をおまけにくれた。 買い求めた泡盛の銘柄は、地名にちなんだその名も”残波”。 まろやかでワイン感覚で飲める泡盛だった。 癖があるのが泡盛だが、ワイン感覚の飲みやすいのも美味しいものだった。 |
![]() 美ら海水族館 ![]() 快晴だった ![]() 今帰仁城跡 ![]() 嘉手納基地 ![]() 琉球村にて ![]() 首里城 |
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12月29日(月) | カルチャースクール |
9月から通っていたカルチャースクールの授業が終わった。 年に数日間の緊張した日々を設けるのもいいかなーっと思い、我孫子にある中央学院大学の ”くずし字で読む江戸文芸” という成人向け講座を受講した。 この講座は春季、秋季の2回に分けての講座だったが、小生が気が付いて申し込んだのは秋季講座。 最初の日に教室に入ってみると約40名ほどのおじさん・おばさんでほぼ満員であり、となりのおばさん受講生に聞くと大半は春季講座の受講生が来ているとのことだった。 「春季口座抜きでいきなり秋季講座だと付いていけるかなー」と不安がると、「大丈夫、大丈夫! 春季を受けても全然読めるようにならないから・・・・・ 習うより慣れろよ!」と笑う。 毎週月曜日の9時半から11時までの1時間半の授業が10回。 講座費は1,6000円也。 カリキュラムは、井原西鶴の「好色一代男」、「日本永代蔵」と松尾芭蕉の「奥の細道」、近松門左衞門の「曽根崎心中」など。 講師は40歳代のこの大学の古文の先生。 奥の細道は若いころに最初の部分あたりを読んだことがあるが、好色一代男などは作品名と作者名を中学時代に丸暗記した程度であり、”江戸時代のポルノ小説”か?程度の知識しか持っていなかったが、今回この講座を受講して江戸庶民の教養の高さなどビックリすることだらけであった。 最初の授業で、好色一代男の書き出しの部分が漢字交じりの筆文字で10数行書かれているプリントが配られた。 同時にひらがなを読むための”変体仮名一覧表”のプリントも配られる。 これはひらがなを読むためのいわばアンチョコであり、例えば”あ”という文字は”安”をくずした”あ”や”阿”をくずした”あ”など、おなじ”あ”でも形が違う字が沢山ある。 どうやら、このくずし字一覧表を見ながらプリントの筆文字を読み解くらしい。浮世絵などの脇に書かれた筆文字などは見たことはあるが、とても読めないので飛ばしていた部分である。 読めるはずはないと思っていたが、アンチョコ片手に読んでいくと1文字、2文字わかる文字が出てきた。 しかし、圧倒的多数は読むことはおろか漢字とひらがなの区別もつかない! 途方に暮れていると、春季口座の修了生らしき数名の人が黒板の前に出てきて一行づつ訳している。 さすがは先輩!っと感心しながら黒板を写し、”オレも口座終了の頃にはこのくらいになるのかなー!っと思ったが、結論からいうと講座修了した現在のレベルもそう変わらないのが残念だ!(笑) この講座で学んだことは、江戸庶民の教養レベルが想像以上に高かったのを知ったことである。 例えば、好色一代男の書き出しの10数行で主人公”世の介”の父親”夢介”を紹介するくだりがあるが、これを読み解くためには、歌舞伎の演目、”平家物語”、”伊勢物語”、”太平記”などの素養がないとわからないのだ。 当時はラジオ・テレビなども無く、歌舞伎や歌・踊りなどが娯楽の中心であったにしろ、歌舞伎や平安、室町の古文に精通していた多くの庶民がいたのはおどろきである。 もちろん教養レベルには大きなバラツキがあったと思うが、好色一代男や日本永代蔵などの浮世草子や奥の細道などがベストセラーになったくらいだから、多くの庶民はかなりの教養があったのではないのか? 講座終了時点でもプリントの半分以上は読めない状態だが、テレビなどで古文のくずし字を見ると以前より興味を持って読み解こうと努力するようになった。 さわりの部分を講座で読んで面白そうに感じた好色一代男も文庫本を購入して読んでいる。 何か緊張する日を設けたいと始めたカルチャースクール通いであったが、今度は体力維持のために来春から”太極拳”の講座に参加することにした。 これは近所の市営スポーツクラブのスクールで、近くにありながら利用しない手はないとかねがね思っていたことを実行することにした。 また、くずし字のほうも、春季講座に参加してもう少しくずし字を読めるようになりたいと思っている。 |
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