日々是好日

2016年
12月3日(土)

鹿島が優勝!
 鹿島アントラーズが年間チャンピオンになりました。 
 サッカーの鹿島アントラーズがチャンピオンシップ(CP)で浦和レッズを2対1で破り、見事年間チャンピオンになった。 2007年以来鹿島ファンが待ちに待っていた栄冠である。 

 今シーズンの鹿島は第1ステージを制覇し優勝。  しかし、第2ステージは失速し11位に終わってしまった。 そして年間順位はかろうじて3位。 これではCP制覇は無理だと諦めていたので鹿島ファンとしては大いに留飲を下げたものだ!
 
 第2ステージはFWカイオが退団し、残ったストライカー金崎の石井監督とのトラブル。 そして、それが原因かと思われる監督の一時戦列離脱などさまざまなアクシデントが続いた。

 特に後半4試合は4連続黒星となりチャンピオンシップも戦いも危ぶまれていた。 
 その中の後半4試合の一つである対川崎フロンターレとの試合は、小生も鹿島スタジアムまでまで足を運び応援した。  しかし、川崎のFW森本に得点され痛い黒星を喫してしまった。 

 この試合は川崎のFW小林が前半早々肉離れで退場し、変わって入ったのが森本。  小林ほどのテクニックと素早い動きができない森本なので安心して観ていたが、キーパーがはじいたこぼれ球を決められ1対0で負けてしまった。  交通事故にあったような負けであった。

 それでも「CPで川崎を下せばいいや!」っと隣で観戦していたおじさんと慰めあってスタジアムを後にしたものだった。

 チャンピオンシップ(CP)準決勝は川崎フロンターレ。 「この間の借りを返せ!」っとテレビ観戦。  前半は0体0。 後半早々、左サイドを駆け上がったMF山本が鋭いクロスを上げ、これをFW金崎が頭で合わせてゴール。 試合巧者の鹿島は、この貴重な1点を守り切り対浦和戦へ進んだ。

 CP決勝は浦和レッズとの2連戦。 ホーム&アウエー方式で行われ、2試合の合計得点数、得失点差、アウエーゴール数、年間勝ち点の順で上位に立ったほうが優勝となる。

 第1戦は鹿島スタジアム。 鹿島のスタジアムまで行きたかったが、午後7時半のキックオフでは帰りは夜中になってしまう。 やむなくテレビ観戦となった。 

 前半戦はお互いに出方をうかがいつつ試合を進め0対0で終了。 後半早々鹿島にチャンスがあったが得点できず。 その6分後、浦和FW興梠(コオロギ)のファウルを誘うような巧みなプレーにDF西が引っかかり、PK(ペナルティキック)を与えてしまった。  結局これを決まられ1対0で負けてしまった。

 それでもケガで戦列を離れていたMF柴崎が1か月ぶりで戦列復帰し、いい動きを見せていたので第2試合に期待を持たせてくれたことは収穫だった。

 後がなくなった鹿島はがむしゃらに前に進むしかない。 
 続く第2戦は浦和のホームスタジアム。  果敢に攻める鹿島だったが、前半7分浦和関根のクロスをFW興梠に決められ早くも1点取られてしまった。  
 それでも攻めるしかない鹿島は後半終了間際の40分、右サイドを駆け上がったMF遠藤のクロスをFW金崎が頭で合わせて同点とし前半が終了。

 1対1で向かえた後半戦。 2点取れば優勝の可能性がある鹿島と2点目を取られたら負けてしまう浦和との精神的な駆け引きが始まった。 同点でも優勝する浦和は慎重なプレーに徹し、後がない鹿島は果敢に攻め続ける。 
 そして後半33分、柴崎のスルーパスに浦和の最終ラインの背後に抜け出したFW鈴木がDF牧野に倒されPKを獲得。 これを金崎が決めてついに2点目を獲得。

 こうなると試合巧者の鹿島の本領発揮。 後がなくなった浦和は、ロングパスで前線にボールを送るパワープレーに切り替えてきた。 しかも、興梠を下げFWズラタンに変えてきた。 この時、浦和のベンチにはFW李忠成がいたので、李に変えられるとやっかいになると思っていたので「これで勝てるかも!」っとほっとした。

 その後、鹿島は虎の子の2点を守り切り浦和に快勝した。 
 これで2試合の合計点数は2対2の同点。 得失点差でも0対0で引き分け。 結局アウエーゴール数が2対1で鹿島のほうが多くなり、年間チャンピオンに輝いた。

 しかし、年間勝ち点は浦和74点に対し鹿島は59点。 2位の川崎は72点と鹿島は上位2チームに大きく水をあけらた3位である。  
 年間チャンピオンにはなったがまだまだ課題の多いチームである。

 来シーズンは1シーズン制に戻るのでチャンピオンシップはなくなり、真の王者は年間勝ち点で決まることになる。  
 興行収入がいい浦和はタレント揃いのチームで層も厚い。 来シーズンも浦和が優位に立つと思うが、ストライカー不足の鹿島にも新潟のFWのラファエロシルバが来るとのうわさもある。 一方柴崎も海外チームに行くとのうわさもちらり。

 来シーズンも大いにJ1リーグを楽しんでいきたい!!

【鹿島アントラーズHPからの抜粋写真】




2016JIリーグ制覇



(対川崎戦)金崎がヘッドで1点



(対浦和第1戦)柴崎のディヘンス



(対浦和第2戦)鈴木がPKを獲得



(対浦和第2戦)PKを決める金崎



2016年
11月13日(日)
〜15日(火)


今年も京都の紅葉へ
 昨年の今頃、京都の紅葉を観に出かけたが、本命の目的地は彦根城であったため、京都には1日のみ(初日の午後と翌日の午前中)で、慌ただしく清水寺周辺と嵐山周辺を駆け足で回っただけだった。
 それでも嵐山麓の天龍寺の紅葉が素晴らく、強く印象に残ったので、今年はゆっくりと古都の紅葉を楽しむべく出かけた。

 
初日11時過ぎに京都駅に着いた。 昨年はレンタカーを借りたが、秋の京都の交通渋滞を避けるため、今年はバスで回ることにした。 従って、荷物はお互いにショルダーバック1つのみ。 軽装備なのでホテルに寄らずそのまま金閣寺に直行。 

 今回の旅は修学旅行の焼き直しみたいに、いわゆる京都観光定番の有名寺院を回ることにした。 バスに揺られること約40分で金閣寺に到着。 さすがに一番の有名寺院だけあって大変な人出。 例によって着物姿の中国人グループが目立った。 晩秋の太陽に照らされて燦然と輝く金閣は素晴らしかった。そして金閣を取り巻く紅葉も今が盛りと美しかった。

 次に回ったのがお隣にある竜安寺。 枯山水の庭を眺めながら縁側に腰かけ、暫しの休息をとった。 この竜安寺の境内にも沢山の紅葉があり、池に映る紅葉が素晴らしかった。
 竜安寺を後にして、そのお隣の仁和寺に向かった。 皇室ゆかりのお寺さんであり、春の御室桜が有名だが、秋にも境内の沢山のモミジが色づき、趣のある景色だった。

 この後、ホテル近くにある有名な錦市場に移動し、ぶらぶら市場内を廻ったが、市民の買い出しの市場だと云う割には、観光客向けに商いをしている店が多かった。 
 夕食を予約していた和食店がこのそばにあり、ここで懐石料理を食べてホテルへ帰った。

 
二日目は銀閣寺から南禅寺までをぶらぶらするつもりで、先ずは東山にある銀閣寺に向かった。 早めにホテルを出たので9時過ぎに銀閣寺に到着。 観光客も少なくゆっくりと境内を散策。 金閣寺と打って変わって地味に黒ずんだ銀閣が赤や黄色に色づいたモミジに囲まれ静かに建っていた。 

 一階が住宅造り、二階が仏堂造りの銀閣は、いわゆる日本文化の侘び錆びの原点と言われているが、薄黒い建物に白い障子の花頭窓が妙に印象に残り美しかった。 
 庭先を廻り、月待山に登って眺める銀閣や東求堂などの建物と紅葉の美しさは日本人の心に一番ヒットするのではないだろうか。 

 銀閣寺を出て哲学の道をぶらぶら歩きながら永観堂へ向かった。 琵琶湖疎水に沿った哲学の道も紅葉真っ盛りで一段と趣がある。 
 約30分歩き、京都で一番紅葉が美しいという永観堂に到着。 お寺の入口から続くモミジに観光客が歓声を上げる。 そして、この感嘆の声は、境内の角を曲がるごとに見事な紅葉に出くわし、その度にあがっていた。

 2時間ほど掛け、ゆっくりと永観堂の建物や錦の景色を楽しんだ後、近くの蕎麦屋で昼食を取り南禅寺に向かった。
 南禅寺の山門や境内にある琵琶湖疎水を流すための水路閣などを見て市内へ。 ここでは琵琶湖疎水を利用した廻船のためのインクラインの跡なども残っており、一度は見たいと思っていた仕組みを観れたことは良かった。

 夕食を予約した店はこの近くの平安神宮の裏手。 ついでに知恩院も近い。 それらを回り、娘に推奨された鍋料理屋で夕食を取りホテルへ。


 
三日目は二条城から三十三間堂を回り、ここも京都で一番紅葉が美しいと言われている東福寺に行った。 京都駅に近いせいか多くの観光バスと観光客の群れ。 境内のモミジのトンネルは人の列で思うように進めない。 
 確かにここの紅葉も素晴らしかったが、前日に永観堂の紅葉を観たせいか昨日のような感動は覚えなかった。

 こうして2泊3日の京都の紅葉めぐりの旅は、「
出発前は億劫だったけど来てよかった!」の一言に尽きて終わった。 しかし、およそ1年分ほどかと思うほど歩いたので、正直疲れ果てた。
 

 ある有名寺院を回った時に
貴重な体験をさせていただいた。 このお寺の本堂には国宝の仏様が祭られており、通常は本堂正面の扉の金網越しにお参りする。 
 我々もご本尊をお参りした後、色付いたモミジに誘われて本堂裏手に回ったところ、裏手の入口扉を開けようとしているお坊さんがいた。 
 
 どうやら知り合いのご婦人を案内すべく入口のカギを開けているようだった。 カギを開けたお坊さんが、そっと辺りを見渡した時小生の眼と合ってしまった。 思わず頭を下げた小生に、お坊さんが小さく手招きするではないか。 急いで家内と一緒に階段を駆け上り薄暗い堂内へ。 

 ほとんど手探り状態で正面に回ると、金網越しに差した光の中に国宝の阿弥陀三尊像が鎮座されていた。
 粋なお坊さんの計らいで国宝の仏様を拝ませてもらい、仏様の由来なども聞かせていただきなんとも得した体験だった。
 
 昨年の京都は生憎の雨模様で楽しさ半減状態だったが、今年はほぼ天候に恵まれ晩秋の古都を十分楽しむことができた。 やはり来てよかった!!


永観堂



銀閣寺



金閣寺



東福寺



東福寺


2016年
10月23日(日)


スポーツ吹き矢
(その2)

 昨年の4月から始めたスポーツ吹き矢は先日の昇級試験で無事2段に昇格することができた。  毎月第2、第4日曜の2回の公式練習のほか自主練習と称して希望者のみ第1、第3金曜の2回練習してきた。 その甲斐があったのか10月9日の昇級試験において昇格した次第である。
 
 我々のスポーツ吹き矢同好会では、2級から始まって1級、初段、2段、3段、4段、5段,、6段、7段の9階級に分かれており、4か月毎に昇級試験が実施される。  

 昨年4月に入会後、最初の6月の昇級試験で2級をクリアし、その半月後特例で1級試験を受けさせてもらいこれもクリア。 そして昨年10月に初段に挑戦したが残念ながら不合格となってしまった。 そして本年2月の2回目の初段試験に失敗し少々焦っていたが、4か月後の6月の試験でやっと初段をクリアすることができた。

 やっと初段をクリアしたので、その4か月後の今月9日の昇級試験はとてもクリアできないだろうと気楽に受けたところ、肩の力が抜けたせいか2段に見事昇格することができた。

 ここでスポーツ吹き矢のルールを少々説明します。
1.先ずは的を射る距離です。 2級と1級は的から8m離れたところから射る。 初段は9mから的を射る。 そして、2段以上は10m離れたところから的を射る。
 
2、的に当たった時の得点基準は、真中の白丸に当たると7点(左の的の写真参照)、その外側の赤丸は5点、その外側の白丸は3点、さらにその外側の黒丸は1点となっている。 

3、1回の試技で5本の矢を射て1ラウンドと言う。  2級と1級は4ラウンド行い、初段以上は6ラウンド行う。  

4、各級(段)に昇格する基準は下表のとおりであり、的までの距離とラウンド数、クリアすべき得点により決まる。


 以上をまとめると下表のようになる。
  
   的までの距離 昇格基準点
4ラウンド 6ラウンド
2級 8m 98点以上 ・・・・・・
1級 100点以上
初段 ・・・・・・ 150点以上
二段 9m 150点以上
三段 10m 150点以上
四段 162点以上
五段 174点以上
六段 186点以上
七段 192点以上


 ・初段以上は6ラウンド行う。 例えば初段を例にとると、1ラウンド平均25点以上の得点を取らなければならない。 
 ・そのためには、1ラウンド5本の矢をことごとく赤丸の中に射止めなければならない。 
 ・そうは言っても、1本が3点の外側白丸に外れたとしても7点の白丸に1本入ればチャラになる。  
 ・このようにして各ラウンドで25点を確保すればいいが、もし1ラウンドが25点以下であっても他のラウンドで25点以上得点すればリカバリーできる。


 小生は今回二段になったので、次の三段をクリアするためには、10mの距離から150点を確保すればいいが、先日10mから練習をしたところ、吹く力のバラツキで筒先端のブレや矢のスピードの違いで大きく外れてしまうケースが多かった。

 それでもだんだんこの距離に慣れてくると平均25点はクリアできると思うが、四段以上になるとラウンド平均27点、29点、31点、32点となり、各ラウンドとも真ん中白丸に2,3本以上入れなければならない。 これはかなり難しくなる。
 さらに、六段、七段あたりになると、5本中4本は7点に入れなければならないのでとてもとても歯が立たないように思っている。
 そうは言っても地道に腕を上げていかなければならないので、楽しみながら努力したい。




真ん中の白丸は直径6cmで7点 
その外側の赤丸は直径12cmで5点
その外側の白丸は直径18cmで3点
その外側の黒丸は直径24cmで1点
その外側は0点        





2016年
4月25日(月)
〜4月26日(火)
鶴ヶ城と東山温泉
 昨年、会津若松の鶴ヶ城の修復が終了し、屋根瓦も築城当時の赤茶色になったとの報道がされた。  この城が戊辰戦争で新政府軍の猛攻によりボコボコにされたのは、明治維新完結のために新政府軍が仕組んだ計略だったとの説があるのは周知のとおりである。  新政府軍に攻められた後の、当時の写真を見ると、かろうじて城の形は保っているものの建物の一部は傾き、大砲でやられた穴があちこちに開いている。  

 現在の城は、昭和40年に鉄筋コンクリート作りで再建されたものだが、内部の作りは郷土資料館としての目的もあったためか広く、緩やかな階段などもあり、築城当時とは異なっているようである。

 会津には30数年前に訪れたことがあり、鶴ヶ城や武家屋敷などを廻った記憶がある。  その後、渓流釣りの途中に何度も会津周辺を通っているが、何時も素通りで、いつかは再訪したいと思っていた。  
 そんな時、鶴ヶ城の修復完成を知り、昔のルートを再訪しようと思って今回の旅行に至った。

 早朝に自宅を出て、先ずは郡山の妻の実家に昼頃到着。 15時過ぎに義弟の車に乗り換え、妻と義弟の3人で一路会津若松を目指す。  初日は東山温泉に宿泊するだけの予定なので時間はたっぷりとある。  メインルートである国道49号線を避け、猪苗代湖の南側湖畔をゆっくりと進む。  途中、子供たちが小さい頃よく遊びに来た猪苗代湖の船津湖畔や観光港などを横目に見ながらやがて東山温泉に到着した。

 ネットで予約した渓川沿いのホテルは温泉と郷土料理が売り物。  早速、数か所ある温泉の一つに入りひと汗流す。 時間が早かったせいか誰もいない露天風呂は義弟と二人だけで貸し切り状態。  やがて一人のお客さんが入ってきたのを機に湯から上がり部屋に戻る。 今回の部屋は14畳の和室でゆっくりとできる。

 渓流を見ながらくつろいでいると夕食の時間になり食事処へ。  広い食事処には10数組の宿泊客がいたが、平日とは言え、ホテルの規模からみてお客さんが少ない。  外国人で潤う一部の観光地以外の観光業の厳しい一面を垣間みたような気がした。
 食事は郷土料理が中心で山菜や会津牛などで美味しかった。

 翌日は、宿近くの会津武家屋敷からスタート。  会津藩筆頭家老西郷頼母の屋敷を再現した建物だそうだが、30数年前に来た時よりも建物周辺が整備されている。 戊辰戦争の惨状が判る展示物などを見ると、改めて一つの時代を乗り越えるために会津藩が払った犠牲の大きさが忍ばれる。

 改装なった鶴ヶ城は、白亜の壁と赤茶色の河原が美しい。  天守閣各階の展示物を見ながらやがて最上階の五層へ。  五層の高欄から眺める会津盆地は新緑に染まり美しい。 眼下に広がる城下町と背あぶり山や磐梯山などの周囲を囲む山々が360度のパノラマで迫ってくる。  桜の咲くころはさぞかし綺麗だったろうなとチョッピリ悔しがる。

 ホテルで購入した観光割引券は、鶴ヶ城、武家屋敷、酒蔵見学がセットになっている。  最後に会津の酒蔵宮泉に立ち寄った。  醸造タンクの中を上から見るルートがあるものと期待したが、単に酒米を蒸す工程や醸造タンクを廻る十数分の見学は期待外れだった。 しかし、直販コーナーで試飲した本醸造の新酒は旨かった。 ガッカリ分をチョット取り戻した
感じ!

 直販コーナーで酒や漬物などのお土産を購入して一路岐路に。   途中立ち寄ったソバ屋で食べたソバは太くてかたい田舎ソバで味はいまいち。  自分で打ったソバのほうがマシか・・・・  名物の饅頭の天ぷらは旨かった。
 

 会津旅行の翌日に、猪苗代の高森川に岩魚・ヤマメ狙いで入った。  東日本大震災の放射能汚染で禁漁となっていたが、今年から解禁になったそうである。  久しぶりの解禁で多くの釣り人が入ったせいか結果は釣果ゼロ。  一度だけ20数cmの岩魚を掛けたが、取り込む途中に目の前でポチャリ。  義弟は17、8cmのヤマメを一匹ゲットしたものの小型につきリリース。  久しぶりのおでこだった。


改装なった鶴ヶ城




会津武家屋敷


2016年
5月11日(水)
大混雑の
伊藤若冲展
 
 今年は江戸時代の画家、伊藤若冲の生誕300年だそうである。  この生誕300年を記念した展覧会が東京都美術館で開催されている。  この画家は、現役時代にはそれなりに名声もあったが、その後忘れ去られ、1990年代に入って、その超絶した描写や技法が再評価されたそうである。  特にアメリカ人コレクターによるコレクションにより、飛躍的に知名度と評価が上がったようである。

 数年前にTVで若冲の作品紹介をシリーズで放映したことがあり、その細かい描写と奇抜な構成にびっくりしたことがあった。  その後、この画家の作品が気になっていたところ、4月上旬に若冲展開催を知り、早速前売り券を入手した。

 この手の展覧会は、前半と後半が混雑することが多いので、4月22日のスタートから一週間は混むだろう、その後の連休も混むだろう、展覧会終了間際の5月24日近辺は大混雑だろう、そうすると5月の連休明けが狙い目かと計画を立てた。  
 そうして、連休中の帰省ラッシュをTVで見ながらくつろいでいたら、若冲の特集番組が連日のように放送されだした。

 阿修羅展の時もそうだったが、TVで特集番組をやるとすぐに混雑が始まり、展覧会後半は異常とも思える混雑になる。  幸い阿修羅展の時は、開催10日目あたりに見に行ったので、お客さんは少なくガラガラ状態。  阿修羅像の目の前から、横からそして後ろからゆっくりと鑑賞することができた。  その後展覧会の開催のスポットCMがTVで流れたとたんに混雑しだし、押すな・押すな状態になって、その様子をニュースで流していた。

 若冲展も連休中のニュースで盛況ぶりを報道していたので、それなりの混雑を覚悟で出かけた。  9時半開場なので、9時頃着けば混雑のなかでも十分鑑賞できるだろうと上野駅に到着。 すると、公園口改札口手前の構内に長蛇の列。  どうやら美術館で入場券を買うより、駅構内の売り場のほうが早く買えると思った人たちの列の様だ!  ”自分たちは前売り券を持っているも〜んネ” と思いながら美術館へ直行。  すると美術館前がなにやら騒々しい。  急いで近づいていくとここでも多くの人が列を作っている! 

 ”自分たちは前売り券を持っているも〜んネ”を心の中で叫びながら係りの人に前売り券を見せた。  すると係りの人が”この列の最後尾はあちらのほうです”っと、はるか彼方ををさす。  エー!この列は前売り券を持っているの列?っと問いただすと申し訳なさそうな顔をして頷く。
 最後尾を目指して急ぎ足で歩いていくと、なんと美術館を半周した先が最後尾だった。 これでは入館するまで2時間ぐらいか?っとかっぐりくる。  しかし、並びだしたとたんに少しづづ列は前進し、やがて直ぐにSTOP。 これの繰り返しながらも徐々に入口に近づいていく。 

 小一時間並んでやっと入場できたのは10時過ぎ。  なかは無論超満員。  最初の展示物は若冲晩年の水墨画。  金閣寺の襖絵であるが、地味な作品なので比較的人が少なくゆっくり観れる。  続いて、若冲得意の鶏や鳳凰の絵。  連休中のTVで得た知識を駆使しながら作品の制作過程を想像し、微細な筆さばきをびっくりしながら鑑賞した。

 若冲と言えば、鶏の羽の筋一本一本を細かく細かく描くところに特徴がある。  今回、ガラス越し、人の頭越しの鑑賞ではとてもそこまでは見られないだろうとオペラグラスを用意した。  TVカメラが拡大して見せたとおりの筆跡を実際の絵でみるとそのすごさがはっきりと伝わってくる。
 周りをみると同じようにオペラグラスを眼に当てているひとがちらほらいた。 

 そして、今回のメイン展示物である”釈迦三尊図”や”動植綵絵”展示場へ。  さすがにここは沢山の人で溢れかえっている。  人ごみに揉まれながらも群鶏図や白鳳図などの動植綵絵の数々を堪能することができた。 

 超人とも思える微細な筆跡を観るとこの人は天才なのだなと実感する。  このような人はもう現れないかもしれない。  若冲は”千載具眼の徒を待つ(千年後に自分の絵を理解してくれる人が現れるのを待つという意味)”と言ったそうだが、まさに300年後の我々が
この絵に出会えて感動いている。  約2時間ほどの鑑賞だったが大いに満足して美術館を後にした。

 行列と人混みで疲れた一日だったがやはり来てよかった。  帰路にはもしかしたらまだ花が残っているかなと根津神社に立ち寄ったが、残念ながら新緑のつつじだった。




群鶏図





老松白鳳図
2016年
7月16日(土)
佐原の夏祭り  
 千葉県佐原の夏祭りに行ってきました。  小江戸と呼ばれている佐原の古い街並みと歴史ある夏祭りには以前から興味があった。  我が家から約50qの距離だがなぜか御祭り時期には行きそびれていた。

 10時過ぎに現地に到着すると道路規制がされており駐車場を探すのに一苦労した。 取りあえずHPに載っていた忠敬橋(伊能忠敬の忠敬だと思う)に向かうと丁度山車が川沿いの路地を練り歩いている。  その下の川にはお囃子船が伴走している。  橋にさしかかったお囃子船は橋の手前で留まりお囃子が始まった。  川の土手道では踊り手が佐原囃子に合わせて踊り始めた。

 暫くお囃子を楽しんでいたが、お囃子船の出発と共に川沿いの土手道を下って行った。  この小野川沿いの両脇には、小江戸の名前どおり和風の建物が並んでいる。 また、川沿いだけでなく街の中にも古い蔵や建物が通り沿いに並んでいた。

 お囃子を聞きながら伝統的建物保存地区の古い街並みを散策していると江戸にタイムスリップしたような気持になっていく。  佐原には町内ごとに山車を持っており、山車の上には神武天皇、菅原道真などの人形のほかに鯉や鷹などが乗っている。  全部で20数台の山車があるそうだが、夏祭りではそのうちの10台ほどが引き回されるようだ。

 約2時間ほど夏祭りと街並みを楽しんで帰路についたが、意外に食べもの屋が少なく、むしろ今では珍しい瀬戸物屋、金物屋、レコード店などが多くあり、いまでは少なくなった昔ながらの庶民が生活を楽しめる街であることを実感した。  また訪ねたい街のひとつである。