日々是好日

2017年
2月13日(月)

蕗のトウ  
 立春が過ぎ、寒い日が続きながらも少しづつ暖かくなってきました。 先日我が家の畑を覗いたら蕗のトウが出ていました。 
 早速数個摘んできて天ぷらにして味わいました。 まだつぼみが固く、香りはイマイチでしたが早春を感じる味わいでした。

 来週からはもう少し暖かくなるそうなので、そろそろ畑の準備をする予定です。 先週購入した種ジャガイモは、現在暖かい部屋で芽出しを行っています。 これを来月下旬ごろには作付けする予定です。

 来月は、昨秋芽を出したネギ苗を植え付けたり、冬を耐え抜いたソラマメ・絹サヤなどの手入れに入り、いよいよ畑作業のシーズンインとなります。

 そして、来月からは関東地方の渓流釣りも解禁になります。  本格的な春を待ちかねて3月を待つ今日この頃です。







2017年
3月9日(木)
濤声と薫風
(とうせい)と(くんぷう)

 茨城県近代美術館で行われている「唐招提寺御影堂障壁画展」に行ってきました。友人から今回の展示会を知らされ、丁度見頃の水戸偕楽園の観梅を兼ねて出かけた次第です。 自宅から常磐道を走り約1時間半で美術館に到着。 入場券を買おうとすると70歳以上は無料とのこと。 おまけにさっき支払った駐車料金410円も戻ってきた。 ラッキー!! 

 開館間近だったせいか館内は人は少ない。 静かな入口扉を開けて室内に入ったとたん眼に飛び込んできたのは視野一杯に広がった群青の海だった。 

 この展示会は、現在、唐招提寺御影堂改修工事を行っているそうで、その間、日本を代表する東山魁夷が描いた襖絵を、御影堂室内に見立てた部屋に展開し、展示している。
 この襖絵は、たび重なる困難を乗り越えて来日し、仏教の戒律を伝え、唐招提寺を開いた鑑真和上の魂をなぐさめるために東山華夷が描いた襖絵だということです。

 
 

 ”濤声”というこの襖絵を数歩下がって向い合うと、岩礁に砕け散る波の音と弧を描いて押し寄せる波音が聞こえてくるようだった。


 次の部屋には、鑑真和尚の故郷である中国揚州の景色を描いた”薫風”という作品が展示されていた。
 

 中国江南地方によく見られる柳と水辺の景色が描かれたこの襖絵も少し下がって全体を観ると、風薫る初夏の風を肌に感じらるような素晴らしい絵だった。

 絵画などの美術鑑賞には疎い小生だが、さすがに大画伯が描いた絵は観る人に何かを肌で感じさせるものと感じ入った次第である。
 
 そのほか、鑑真和上に関係した桂林や黄山の景色を描いた襖絵やこれらの大作を描くにあたっての過程などが展示されていた。

 これだけの襖絵を描くために、北陸の海岸や信州の山、更には中国揚州や黄山・桂林にまで出向いて数年かけてスケッチを行ったり、襖に割り付けるための縮尺図作成など、完成までの準備段階まで詳しくわかる展示品もあり十分楽しむことができた。

 
 昼頃美術館を出て昼食後、次に向かったのは偕楽園近くの徳川ミュージアム。 同ミュージアムHPでは、水戸徳川家のお宝が展示されているとのことだったが、入館してビックリ。 やたらに目につくのは若いお嬢さんたちの群れたった。 
 ネットゲームの”刀剣乱舞”?が人気で、ギャルたちの間で刀や武将がブームになっているせいか?

 中の展示物は刀や鎧兜など特別物珍しいものはなかった。 一通り見学して約20分程。 入館料一人1200円はちょっと高すぎか??


 まだまだ陽が高いので偕楽園の梅園に入った。 毎年のように観梅に行くが偕楽園は数年ぶりだ。 取りあえず好文亭を目指して山道を進む。 好文亭は何度も入っているのでパスして梅園の中を歩く。 暖かかったこの日は平日にも関わらず多くの人が春を求めて訪れていた。

 日柄が良いのか打掛姿の新婚カップル数組がはしゃいでいた。 山道を登って来たせいか二人とも若干疲れ気味。 満開をチョット過ぎたような梅園のメインルートを数百メートル歩いて観梅を終了。 
 晴れ渡った暖かい早春のひと時を楽しむことができました。








鑑真和上坐像の背景画






信州の山波を描いた ”山雲”






偕楽園の梅園

2017年
7月17日(月)
21年ぶりの再会
 21年前に中国上海でで仕事をしたことがある。  その時に現地の会社を使って仕事を完成させたが、あれからすでに21年が過ぎてしまった。
 その時の現地会社の従業員(主に責任者)たちが奥様同伴で日本へ旅行に来るという連絡が入った。 そして先日久しぶりの再会を果たした。

 1996年に上海の金属交易所の新築ビルに、セキュリテシステムや国際会議場システムなど11個のOAシステムの構築業務を受注した。  当初は1年で完成するつもりがビルの建築工事が遅れに遅れ、ビル工事の遅れに付き合わされOA工事もとうとう3年がかりでの完成となってしまった。

 我々は初めての海外での仕事であり、彼ら中国側も最新のコンピューターシステムの仕事は初めてのことであり、お互いに切磋琢磨して仕上げた仕事だった。  それだけ双方とも印象に残った仕事となった。  
 そんな訳か工事完成後も彼らサブコン仲間は、毎年忘年会を開くなどして親交を深めていたようで、毎年彼らの忘年会時期である1月下旬頃に小生の携帯に酔っ払いたちが電話を掛けてきていた。

 中国語もすっかり忘れている小生は酔っ払い相手に適当に喋っていたが、その彼らが大挙して日本見物に来るという。  
 総勢14名で箱根、富士山、東京を4泊5日で回るとのことだった
 日本側としても当時の上海メンバーに声を掛け、10人ほど集めて銀座のホテルでの再会となった。

 7月17日に再開したが、21年ぶりに会う割にはすぐに顔がわかり、”好久不見!!
(久しぶり!)”と言いながら抱き合い再会を喜んだ。

 下手な中国語で挨拶をしたり、当時の宴会写真などをスライドに写しながら、 ”これは誰れだ!” ”何時の宴会だったっけ?!” など、ワイワイ賑やかにカンペイを繰り返す。  こうして瞬く間に2時間が過ぎてしまった。

 日中間の政治的な問題は山ほどあり、国同士は必ずしもうまくいっていないが、仕事仲間だった彼らは全くいい奴らばかりだった。  元受、下請けの立場の違いはあったが、時には本気で喧嘩をしながらも一つの目標に向かって共に協力して完成させることができた喜びは共有していた。

 今回はオーナー側からも参加者はいたが、中国の仕事で発注者、元受、下請けが20年経ってもこうして旧交を温めあうプロジェクトは、我々の会社でも日本においても珍しいのではないかと思う。 

 最初はあまり乗り気がしないで渡った中国だったが、もともと中国の歴史と地理には興味があったのでいい仕事ができたものと思う。
 



上海金属交易所のビル(左)
上海期貨大厦のHPより